傳芳堂
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重要文化財
安楽寺二世 幼牛恵仁
(ようぎゅうえにん)和尚像

恵仁(えにん)は幼牛(ようぎゅう)と号し、惟仙にしたがって来朝して、安楽寺二代となった中国僧である。この像も墨書銘により、嘉暦4年(1329年・鎌倉時代)に造られたことがしられる。作者名はないが、作風が似ているので、惟仙像と同じ作者と見られ、木像の頂相(ちんそう)彫刻(禅僧の肖像彫刻)としては古い例に属するものである。惟仙像に比べ、この像はやせ型のつつましくも鋭い表情に造られ、両者は同型のものながら、おのおの個性的に表現されていて巧みである。後世のこの種の頂相が徒らに技を弄しているのに比べ、やはり作例は、写実迫真の趣を失わず見事である。

一切の虚無と感じてねんごろに
虚無に行ぜし僧が像拝す
−空穂−

重要文化財
安楽寺開山樵谷惟仙
(しょうこくいせん)和尚像

惟仙(いせん)は、樵谷(しょうこく)と号した禅僧で、木曽源氏の出自といわれている。鎌倉時代の中期、宋に渡って修学し、寛元4年(1246年・鎌倉時代)鎌倉建長寺開山蘭渓道隆と同船帰朝して後、安楽寺を開いた人である。
この像は胎内墨書銘により、樵谷没後数10年を経たと思われる鎌倉時代末期の嘉暦4年(1329年・鎌倉時代)に造られたことが知られる。作者は大工の兵部という人である。髪をそり、頭をまるめ、微笑をたたえる表情は、いかにも写実的で時代の好みがうかがわれる。肩を豊かに張り、どっしりと安定した容姿は、惟仙生前の面影をよく伝えるものである。

伝ふらく求道入宋の開基像
木曽の源氏の族なりという
−空穂−